とんとかいも日記

現在『試運転中』です

動画編集はいつの時代も大変〜第一夜〜

むかしね。動画編集は大変だったんだよっていう、おはなし。

 

今日は天気が悪いね。こんな日は一日中ひきこもってしまいがちになるのよ。でもそんな日は、やりかけの作業がはかどるって事でもあるな。

今やりかけてるのはビデオ編集作業。2時間ほどのイベントを6CAMで収録したものだ。のべ約900分の素材を90分程の尺にまとめる予定。(商売じゃないよ)

いまでは動画編集がスマホでできるくらいお手軽だね。ほんとにイイ時代になったと思うよ。

でもちょっと前までは、動画編集には当時最高性能のパソコンでもまだ不足ってくらいの贅沢な環境が必要だったんだ。

そこで今日は、むかしの動画編集体験も交えて、あれこれ思い出しながら書いていこう。

 

8ミリフィルムで編集(ビデオテープ以前)1970年代前半

オレの親父も撮るのが好きだったんだろう。あまり高級な機種じゃなかったと思うが、出たばかりのAEカメラ(35mmフィルム)やシングルエイト8ミリフィルム)持っていた。被写体はオレら兄妹のことが多かっただろうか。そしてまだ小さかったから、もうおぼろげな記憶だけど、親父が8ミリフィルムの編集をやってるのを見たことがある。何処かのカメラ屋さんから機材一式を借りてきたんだと思う。

で、その編集作業を見てビックリしたことがあった。フィルムの編集っていうのは撮ったフィルムに実際にハサミを入れて切って別なフィルムを後に張り付けてつなぐのよ。驚いたなぁ。
だから今でも動画の編集作業は要らないところを「切」ったり、別なシーンを「つない」だりと言うんだね。

で、ハサミを入れるそのフィルムはこの世に只ひとつしかないマスターフィルム。編集に失敗は許されないのよ。(当時はフィルムの複写なんか個人がやる時代じゃなかった)

そんな手作業だからフィルム編集は時系列順につないでいくくらいがやっと。前後の入れ換えや複数のフィルムから欲しいところを自由につなぎ直すなんてぜったいムリムリ。根気の要る作業だったろうなと思う。

なんにせよ、小さい頃のオレたちが動画で残ってることには、感謝の言葉しかない。

 

ビデオテープで編集(パソコン以前)1970年代後半〜80年代前半

どういうわけかウチには早い時期から家庭用ビデオがあった。SONYのベータマックスだった。(これが後々災いするww)

初めてビデオデッキで録画したTV番組を見たときは、感動のあまりに凍り付いたな。その話はまたいつか。

それからしばらくして、次に親父が手に入れてきた新しいものは、なんと「ハンディカム」。

 すげぇじゃん!

それは完全にオレのオモチャになった。ハンディと名が付くがカメラは肩に担ぐほどの大きさ。テープデッキは別筐体でアタッシュケースほどもあるようなずっしり重い箱肩からぶら下げるんだ。カメラとデッキのあいだは2センチくらいのぶっといケーブルで繋がってる。

オレはこれを外に持ち出した。そして、撮った素材を家庭用ビデオデッキで順序よくダビングしながらつないでいくんだ。「ココ笑うところ」ってシーンは3回くり返してダビング(カットバック)したりすると、これが”バカウケ”するのよね。

プラモをコマ撮りで動かしたり(ガンプラはまだ無かった)ただの庭を30分撮りっぱなしにして、早送りで見ると影の動きが面白いとか(タイムラプスだな)映像にBGMを重ねるとドラマチックになるぞ。と、まぁいろいろ遊んだもんだ。高校を卒業する頃にはちょっとしたストーリ仕立てのドキュメンタリーっぽいものを撮ったりもしていたな。

コレが出来たのは、ビデオテープだから。撮り直しは何度でもOK!フィルム代がかからない幸せ!(ココ重要)

 

で、ビデオ編集からちょっと脱線するけど、ついに念願のパソコンを手に入れたあと、この画面をカメラで撮りたいと思った。そしてパソコンならカメラの制御が出来るんじゃね?

8ビットコンピュータじゃリアルタイムでCGは動かせないから画面に表示したコンピュータグラフィックスビデオカメラで一コマづつ撮っていくの。

詳しくは省くけどカメラの録画ボタン(機械式接点)をパソコンのカセットテープ制御用のリレーでON/OFFすることを思いついた。もちろんそんな制御ソフトなんて無いからプログラムも自作だよ。(コレ、当時のパソコン使いの基本ね)

で、やってみたら出来ちゃったww(若いっていいねぇ)

録画を再生したら、まがりなりにもカクカク動いたんだよ。感動もんだったよ。

これに使ったパソコンは NEC PC-8801mkIIでした。一画面書くのに数秒かかるんで一晩中コマ撮りを動かし続けたのよ。カチカチカチ・カチカチカチ・カチカチカチ・カチカチカチ・・・・・・

 

さて、動画編集にパソコンが使えるようになるまでには、少し待たねばなりません。

はい、じゃぁ今日はこのへんまでにしようか…。

《つづく》

きのう見かけた電車
JR九州の特急ってかっこイイよね♡

・・・やっぱ長ぇ(^O^)/

きのうのは長すぎ〜ましたね(^◇^;)

昨日は、昔を思い出して一杯のみながら書いてたんだけど、すっかり気分がよくなっちゃってね。タイプがすすみ過ぎちゃったみたい😅 けさブログを見直して自分でもビックリしちゃいましたわ。

  うわっ長〜っ。

こりゃ、だれも読む気にならんぞ。まぁ、せっかく書いたんだからそのまま残しておくけど、次からはも少し考えなきゃね。

反省、反省〜

今日見かけた、トリさんのご夫婦
仲良くおさんぽしてましたわ

”みかか代”に苦しんだあの頃のおはなし

むかしね。今日は、まだインターネットなんて無い時代の「パソコン通信」のおはなし。

前回のポケコンのおはなしで、念願のコンピューターを手に入れたことを書いたね。オレはなんとかしてコンピュータを使おうと、がんばってプログラム作りに没頭してたんだけど、それについてはまたいつか書こうと思う。

今日の話はそれから数年後。パソコン通信の頃のはなし。80年代後半の頃だ。

 

オレも学校を卒業し、いっぱしの社会人として働き始めたころだな。働き始めてしばらくすると、ある程度自由に使えるお金もたまってくる。で、どうしたか。もちろんパソコンを買い替えたよ。

NEC PC-9801VX2】初めての16ビットパソコンだよ。うっしっし。

その前に使っていたパソコンは、同じNECのPC-8801mkII これはオレのパソコン2代目だ

このPC-98をいくらで買ったかは忘れちゃったけど、月賦で払ったのは間違いない。今調べて見たら本体だけで定価433,000円だったそうだ。当時は大幅値引きが当たり前の時代だったけど、それでも30万円代半ばくらいはしたはずだ。バブル前夜の上昇志向の時代とはいっても、現金一括はいくら何でもムリだったですわ。

このパソコンは当時”98”(”キューハチ”と読みます)という愛称で呼ばれ、その当時の日本のパソコンの代名詞と言っても良いくらいのスゲぇよく売れたシリーズ。そのことを書きはじめたら夜が空けっちまいそうなので、またいつか気が向いたとき書こうね。

さて、今日はの話は「どうやってパソコン通信をやっていたのか」というはなしにしようか。

当時”パソコン通信”と一口に現してたけど、ちょっと細かくいうと電子掲示(bulletin board system:BBS)と呼ばれるサイトで主に文字情報でコミュニケーションすることを言ってたんだね。今、Webサイトを巡ったりSNSを使うことを単に”インターネットで”というのと同じだわ。

BBSは、当時からあったBIGLOBENIFTY-Servといった大手サイト以外にも”草の根BBS”と呼ばれる、小規模サイトが日本全国にたくさん出来ていた時代だ。

これらのBBSはそれぞれ完全に独立していて相互間の接続が一切無いことが今のインターネットサイトを違うところだ。

インターネットしか知らないほとんどの人には想像がムズいと思うけど、ネットにつなぎっぱなしにして「それぞれのBBSを渡り歩く」ということができない。別のBBSに繋ぐためには、今見ているBBSへのネット接続を切って、改めて別のBBSサイトに接続し直さなければいけないんだよ。意味わかる??

例を挙げよう。今Yahoo!を見ている。次に、はてブを見に行きたいと思ったら、Yahoo!を見ているプロバイダーを切断して、別のはてブ専用プロバイダーに接続し直さないといけないんだよ。わかるかな?(わかんねぇだろーな〜)

まあ、当時のパソコン通信というものはBBSサイトの数だけ専用の接続プロバイダーがあるようなものだったといえば、すこしは想像できるかな。

 

さて、今のパソコンは、インターネットプロバイダーとの契約さえあれば、ウチにあるルーターにLANケーブルを挿すかWi-Fiに繋げば、ほぼ全自動でにインターネットに繋がるはずだ。(便利になったもんだ)

じゃぁ、昔のパソコンはどうやって、パソコン通信=BBSに接続したんだろう。

やっと手に入れた高価なパソコンPC-9801VX2には、LANポートなんて付いて無い!ないのよ。信じられないだろうけど、当時のパソコンはネットに繋ぐなんて全く考てなかったのよ。

もちろん、当時、個人用光回線なんてあるはずないない!外と通信できそうな回線はNTTの固定電話回線だけ。おしゃべり専用ですね。で、このおしゃべり用回線をパソコン同士の通信に使えないかって考えた人が居たんですね。

信じてくれるかどうか分かんないけど、この音声用の回線でデジタル通信しちゃおうっていう「究極の裏技」をやっちゃうのが、”モデム”という機器だったんだよ。

これは文字通りほんとに裏技で、当時の電話回線は音声通信のみの通話が許されていたんだって。データ通信は専用の通信回線を使ってほしいというのがNTTのスタンスだったって事だね。で、どうしたかといえば、モデムを使ったパソコン通信は「みなし音声」として扱おうという、ほんとに裏技的な機器だったんよね。事実モデムは音声回線に「ピーガーガー」という「音声」を載せて通信しているんですよ。

パソコン通信の初期の頃は「音響カップラ」という原始的な機械があって、本当にスピーカーの音を受話器に直接聞かせて使ってたんだよ。まじで。

それで通信できる速度は300bps。(高速なモデムは、まだ高かったのよ)

今の普通の光ファイバだと少々遅くても300,000,000bpsは出るはず。

ケタ間違ってませんよ。1秒間に300ビットの通信速度。日本語にすると1秒間に15文字程の転送速度よ。そんな速度だから文字情報をダウンロードしてるときなんかは、通信データをナマで画面にそのまま直接表示して目で読むってことも普通にできたのよね。

文字を目で追えるくらいの通信速度なのよね。(で、じっくり読みたいときはpause信号を送出して通信=表示を一時停止できた)

 

さて。ここで思い出してほしい。このパソコン通信は電話の音声通話を使ってるってこと。つまり当時で3分10円の通信費がリアルタイムでかかってるってこと。

そしてちょっと考えてみてほしい。オレのようなど田舎の住人には「市内通話」で通信できるところに、BBSのサイトなんてあるワケない!

BBSのサイトってやっぱり県庁所在地等の大都市に集中してるわけで、とうぜん市外通話料金がかかってくるわけよ。当時は距離によって料金が変わる時代だったので、近隣の大都市にあるBBSへ繋ぐと、だいたい45秒ごとに40円持ってかれるわけ。(今のケータイのカケホ割引無しで通話しているような感覚といえば、その恐ろしさがわかるだろ?)

まぁ、駆け足で掲示板を回っても、10分も繋ぎっぱなしにしてたらあっという間に500円くらいは持っていかれるわけ。これを一日に数回、それを毎日やっちゃったとなると一ヶ月の電話代請求が・・・2万〜3万円とかにwww

で、親が驚くわけよ。今まで月3千円もかかってなかった電話代がいきなり10倍になっちゃうわけだから、何かの間違いだろうってNTTに問い合わせる。

で、まぁ、家に帰ったとたん、待ち伏せてた親父にこっぴどく叱られて、これから月々の電話代はオレが払うってことになったのよね。

オレ等の世代ではみな身に覚えがあるはずだよ。そうだよネッ。ね!!

先日サービスが終了した「カケホーダイ」という、まさにこのための料金固定通話サービスが始まるのは、もう少ししてからですね。

 

ちなみにオレが300bpsのモデムを使ってたのは、ほんの数ヶ月で、すぐに高速なモデムが値下がりしてきて、結構な頻度で買い替えました。当時は普通の電気屋パソコンコーナーでもソコソコの値段で下取ってくれんで。機器の進歩も速かったけど、買換もやりやすかったんですね。

パソコン通信用モデムの速度は、300→1200→2400→4800・・・とどんどん高速になって 最終的には54Kbpsのモデムも発売されたけど、その頃はISDN64という”超高速”デジタル通信が広がってきたな。ISDN単線では64kbps、2回線束ねて120kbpsという当時でとしては桁違いの速度が出せるようになったのは、20世紀の終わり頃でしたか…。(このサービスも、先日終了しちゃいましたね)

 

ちなみに、若い人にとってパソコン通信(BBS)の世界って聞いたことはあってもどんな世界だったのか、想像すら出来ないと思うけど、オレ最近気付いたんだ。

Discord等の分散SNSのサーバー群が、なんとなく昔のBBSの各サイトの雰囲気に近い感じがあるかもな…と。

 

結局人間って、数十年たっても同じことやってるじゃんww

 

【追記】

そうそう。題目の「みかか代」っていうのは、キーボードの”カナ”に振られてるアルファベット。オレ世代の人は、皆かなり貢いだと思いますよww

今日見かけたナンテンの実
とおもったら、ちょっと違うね、何の実だったっけ?

はじめての”コンピュータ”はなんでしたか?

むかしね。学生がパソコンなんて買えなかった頃のおはなし。

あなたの初めてのコンピュータは?

最初にパーソナルコンピュータっていう名前を聞いたのは、まだ高校生の頃だったかな。日本電気という会社が”個人向けのコンピュータ”ってものを売り出したらしいというのは聞いていた。個人で「コンピューター」が20万円くらいで買えるらしい。「個人でこんぴゅうたぁ買えるの?すげえじゃん」ってくらいの感覚だったかな。コンピュータがあれば何でもできるんだよね。

コンピュータを初めて触ったのは高校の授業でのことだったけど、その話はまたいつか。(今考えたら当時としてはスゲぇ最先端の授業だよな!

20万円なんて高校生にとってはとんでもない大金。アルバイト程度の稼ぎでは到底手が出るような金額じゃない。ましてやコンピューターって”何に使えるのかもワカンネェ代物”だよ。感覚的には今の高校生がVision Proを買うって言い出すくらいの感覚じゃないかな。(AR/VRの方がまだ使い方の想像ができるけどね)

…と、その時は”夢のまた夢”っということで、しばらくのあいだコンピュータのことは忘れてしまってた。

 

数年後の進学してから初めての夏休み。帰省してきた高校時代の友達と集まったことがあったんだ。そのとき友人の1人が奇妙なものを持ってきてた。電卓の化けみたいな厚さが2センチくらいで縦ヨコ10×20センチくらいの横長の長方形。電卓と違って数字だけでなくアルファベットのキーがたくさん付いてるし、液晶が横長で広い。

「なによそれ?」

「ポケットコンピュータ。これがポケコンよ」

「え??コンピュータなん?ちっちゃ!!」

「こうしてな」自慢げに数字をパチパチ入力

『5050』と表示

「1から100までの合計」

「ほんとかよww」

もちろん、さっと検算なんて暗算じゃムリ

「じゃぁ1から10までは?」

『55』

「へぇ!あたってるじゃん」

周りに皆が集まってきた。「じゃぁ、1から10000までは?」

さすがに表示まで数秒かかった

『50005000』

うぉ〜と声が上がった

「スゲえじゃん、コンピュータってこんなに早く計算できるんだ」

プログラムを入れると何でも計算してくれるんだとか、(電卓版の)インベーダゲームも作れる等々と説明を聞きながら、

「これ、絶対欲しいぃぃぃぃぃぃぃぃ〜い!」

夏のアルバイトが終わるちょうどその頃、CASIOから新型のポケコン(PB-100)が発売された。なんと¥14,800 これなら買えるぞ! (友人から見せてもらったのはSHARP製で3万円以上したらしい。)

オレが初めての手に入れた”パーソナルコンピューター”だ。

 

余談だけど、この少し前までのTVドラマなどではパソコンの扱いというか描かれ方は、言葉で話しかけたらピコピコカチャカチャって音がしてから一瞬でなんでも答えてくれるし、キーボードをバチバチ打つだけでとんでもない予測計算を一瞬画面表示(それもキャラクター表示ww)したりとかが普通。そんなコンピュータが普通の刑事ドラマで描写されたりして、それも度を超したスーパーマシンとして描かれているのが当たり前だったんですよ。当時でも「ありえねーww」とツッこむのは一種のお約束だった気がしますね。

今では音声でコンピュータ(スマホ)に指示するのは、SiriやAlexaなんかでは普通に実現できてるんですよね(すげぇ)。Copilotやbirdでは、言葉での問いかけにAIが音声で答えて("応え"じゃなくて)くれるってのは、もう始まってる。

まぁ、ウチの各部屋の照明も「コンピュータ あかりをつけて」とお願いするだけで、すぐに点けてくれるんだよ。スゲぇだろwww😅(これは”応え”ですねww)

 

今日見かけたカモ
近づくと逃げそうだったので、デジタルズームで寄りました

突然思いついたんだわ

むかしね。インターネットが始まったばかりの頃のおはなし。

と言っても、1990年代後半だったかな。個人でもインターネット上にホームページが開設できるサービスが始まったんだ。新しい物好きだったオレは、さっそく飛びついてやってみた。

パソ通”は80年代からやってたんだけど、それはサービスの中だけでの閉じた世界。インターネットは世界中に開放された世界だっていうけど、まだピンときてなかったってのが正直なところだったわな。

で、どうやってホームページを作ったんだというと、この『はてブ』のような出来上がってるサービスなんてないし、もちろん『ホームページビルダー』(これさえ、知ってる人はもういないかな)のような便利なソフトなんてまだ無い頃だよ。で、どうするかというと、本屋さんでHTML入門みたいな本を探してきて、先ず勉強からだわ。

それからポチポチとHTMLタグを「メモ帳」で打ち始めて、当時のブラウザ(モザイク)で、ちゃんと表示できるかを何度も確かめながら修正していく。平行してインターネットが使えるブロバイダーが近隣にサービス開始と聞き、さっそく契約。管理者さんに連絡を取って、ホームページ開設の準備をしてもらった。

当時はプロバイダーの管理者さんとも個人的にメールでやり取りできる時代だったんで、何度か指導してもらったり、間違えてあげ損なったHTMLファイルを削除してもらったりとか、個人的に随分迷惑かけたと思う。

苦労しながらもなんとか仕上げたindex.hlmlファイルを転送。

http:なんたら…と打ち込んで、自分のPCの画面にホームページが表示されたときは嬉しかったなぁ。

「これって世界中から見られるんだよね」なんか、興奮しちゃってさ、皆に触れ回ったんだけど、当時、ホームページが見られるようなパソコンとネット環境を持っている人って、周りに数人しか居なかったんだよねww

 

と、まぁこんな感じで「むかし」を思い出しながら、40年余りため込んだ話などを徒然な写真とを交えて、ボツボツ綴っていこうかなと。たまには、新しい話を織り交ぜながらね。

 

今日見かけた猫ちゃん